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同潤会アパート リンク集

同潤会アパート(どうじゅんかい-)は、関東大震災後に発足した財団法人同潤会が東京・横浜に建設した鉄筋コンクリート造の集合住宅のこと。 近代日本で最初期の鉄筋コンクリート造集合住宅として貴重な存在であり、居住者への配慮が行き届いたきめ細かな計画などの先見性が評価されている。特にその一つである大塚女子アパートは、完成時はエレベーター・食堂・共同浴場・談話室・売店・洗濯室、屋上には、音楽室・サンルームなどが完備されていて当時最先端の独身の職業婦人羨望の居住施設であった。電気・都市ガス・水道・ダストシュート・水洗式便所など最先端の近代的な設備を誇っていた。

関東大震災では木造で密集した市街地が大きな被害を受けたため、不燃の鉄筋コンクリート造で住宅を供給することをその目的としていた。なお、東京市と横浜市が震災前に建設した鉄筋ブロック造の集合住宅の事例があり、不燃の集合住宅の必要性自体は震災前から既に認識されていた。 対象は主に都市の中間層(サラリーマンなど)だったが、職業女性向けのアパートや、スラム地区対策として建設されたアパートもあった。東京での建設を見ると、大きく下町系(現墨田区・江東区・荒川区・台東区)と山の手・郊外系(現渋谷区・新宿区・文京区)に分けられる。 同潤会建築部には川元良一(部長)・鷲巣昌・黒崎英雄・拓殖芳雄・土岐達人等の東京帝国大学建築学科出身者がいた。最初期の中之郷アパートの設計は東大教授内田祥三(同潤会理事)の研究室で行われ、岸田日出刀が関与したという。「建築非芸術論」で知られる野田俊彦も一時期嘱託として籍を置き、大塚女子アパートの設計に関与した。 RC造のアパート建設は江戸川アパートが最後になった。

戦時体制中の1941年に住宅営団が発足すると、同潤会は業務を引き継ぎ、解散した。第二次世界大戦後、住宅営団が解散すると、都内の同潤会アパートは東京都に引き継がれ、のちに原則として居住者に払下げられた(大塚女子アパートは例外で都営住宅として続いた)。 老朽化のため順次、建て替えが進められているが、歴史的建築物ということで青山・大塚女子・江戸川・代官山などでは取り壊しに際して保存運動も起こった。しかし、老朽化に伴う建物の劣化の著しさと耐震性などの建物機能の問題で住人にも建て替え希望者が多かった。権利関係が複雑だったこと、立地条件が良い場所が多く建て替えによるメリットが大きいと考えられたこともあって保存は困難であった。 2008年現在残っているのは、上野下アパート及び三ノ輪アパートのみである。三ノ輪アパートは建て替えの計画があり、近日中に姿を消すものと思われる。 * 都市機構の集合住宅歴史館(八王子市)に、代官山アパートの部材が移設され、室内が復元されている。 * 青山アパートは取壊された後、東端の1棟が安藤忠雄の設計により外観が忠実に再現された(表参道ヒルズ内の「同潤館」、2006年)。 * 江戸川アパート取壊しの際に、部材を江戸東京博物館に移し室内を再現する、という新聞報道がされたが実現しなかった。 * 2009年9月15日、三ノ輪アパートの解体も開始された。

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